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11月23日の祝日は勤労感謝の日ですが「働く人に感謝をする日」として覚えている方が多いのではないでしょうか?
調べてみると「働く人を大切にして、作ったものに対して皆で感謝し喜び合う日。」という趣旨の元、1948年(昭和23年)に国民の祝日として制定されたとなっていますが、元々は新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)という祭日で宮中祭祀(天皇が国家と国民の安寧と繁栄を祈ることを目的におこなう祭祀)が行なわれる日でした。
第二次世界大戦後のGHQの占領政策によって天皇行事・国事行為から切り離される形で改められ「勤労感謝の日」となったそうです。元々は働く人に感謝する日ではなかったんですね。

だからってクリスマスとなんの関係があるの?と思いますよね?それは新嘗祭(にいなめさい)の起源からわかってきます。
勤労感謝の日は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ことを趣旨としている。 1948年(昭和23年)に公布・施行された同法により制定された。 農業国家である日本は、古くから神々に五穀の収穫を祝う風習があった。
出典:勤労感謝の日 - Wikipedia

新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)って?

新嘗祭(にいなめさい)とは収穫祭にあたるもので「瑞穂国(みずほのくに:みずみずしい稲穂が実る国)」の祭祀を司る大王(おおきみ,天皇)が国民を代表して、農作物の恵みに感謝しその年の初穂を天照大御神(あまてらすおおみかみ)に奉納するという国家の重要な行事でした。
その歴史は古く飛鳥時代の皇極天皇の時代(西暦642年)から始まったとされています。

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現在は11月23日の勤労感謝の日に、皇居の中の宮中三殿の近くにある神嘉殿(しんかでん)で、天皇が天照大御神はじめ八百万の神々をお招きになり、その中で神々とともに新穀を共に召し上がるというお祭りがされているそうです。
新嘗祭(にいなめさい、にいなめのまつり、しんじょうさい)は宮中祭祀のひとつ。大祭。また、祝祭日の一つ。 収穫祭にあたるもので、11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に進め、また、自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する。
出典:新嘗祭 - Wikipedia

この新嘗祭、実は元々は旧暦(太陰太陽暦)の11月の二の卯の日に行われていて、新嘗祭の前日である旧暦11月の2度目の寅の日には、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の子孫であるとされる天皇の魂の活力を高めるために鎮魂祭という儀式が行われていました。
鎮魂祭はかつては旧暦11月の2度目の寅の日に行われていた[1](太陽暦導入後は11月22日)。この日は太陽の活力が最も弱くなる冬至の時期であり、天照大御神の子孫であるとされる天皇の魂の活力を高めるために行われた儀式と考えられる。
出典:鎮魂祭 - Wikipedia

旧暦の11月の二の卯の日は、今の暦でいうと12月23日に当たり、旧暦11月の2度目の寅の日は、今の暦で12月22日に当たります。12月22日前後と言えばちょうど冬至の頃になります。
そう、この鎮魂祭と新嘗祭は昔々は冬至の頃に行われていたんです。

冬至は太陽の力が弱まる時なので、鎮魂祭によって天皇の霊力を強化し、翌日の重大な行事である新嘗祭に臨んでいたと考えられるのですが、鎮魂祭も新嘗祭も冬至の日に行われることに意味があったと思われるのになぜ現代では当時とは1ヶ月も離れた11月23日になってしまったのでしょうか?

新嘗祭が冬至の日とずれてしまった理由

その訳は明治初期の頃に行われた改暦が原因のようです。明治6年(1873年)太陽暦に改暦される際に、旧暦の11月の新嘗祭は新暦に直すなら12月23日になるはずが、直されないまま現在(新暦)の11月23日に制定されました。
文章では分かりづらいので表にしてみました。旧暦と新暦だと1ヶ月ほどずれていることがわかります。明治5年の12月は2日間しかないのが面白いですね。なんとも強引な改暦です。

旧暦新暦
明治5年11月23日1872年12月23日
11月24日12月24日
11月25日12月25日
11月26日12月26日
11月27日12月27日
11月28日12月28日
11月29日12月29日
12月1日12月30日
12月2日12月31日
明治5年12月3日=明治6年1月1日1873年1月1日

この強引な改暦は、当時の明治政府の財政難が元だったそうです。本来なら冬至に行われるべき新嘗祭はこんな理由から現在の11月23日に変えられてしまったんですね。
ついでに言うと本来なら日本では立春の頃がお正月だったはずが、1ヶ月ずれることになりました。年賀状の挨拶で見かける「新春」や「迎春」は実は立春を表す言葉で旧暦のお正月の名残だと言われています。中国なんかでは現在でも旧正月を春節と呼び新暦のお正月よりも盛大にお祝いをしますが、日本では2回もお正月が来るのは紛らわしいと考えた(?)のか新暦のお正月で定着しています。
布告から実施まで1か月足らずという突然の改暦には、旧暦では翌明治6年が13か月になるため、財政難の明治政府が役人に13か月分の俸給を払いたくなかった事が背景にあるとされ、12月を無くそうとした事も、同じ理由からとみられている。
出典:明治5年 - Wikipedia

古代人にとって重要だった冬至

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古代の人にとって冬至の日は1年で最も太陽の力が弱まり、その翌日は再び力を取り戻し新しい年が始まる日として考えられていました。そして『冬至は重要な日』ととらえていたのは日本人だけではなかったようです。

こちらの記事(クリスマスの起源)でも書きましたが、冬至の日には、古代ローマでは太陽神の誕生祭・収穫祭が、古代北欧ではYule(ユール)という冬至祭が行われてきました。
そして古代ローマ、古代北欧で行われていた冬至祭が後にキリスト教と習合してクリスマスになったと言われています。

遠く離れた場所でも古代の人たちは、実は同じ神様(太陽)を信仰していて、太陽の死と復活に意味があると考え冬至の日を重要視していたんですね。

特に北半球では、冬は日照時間が短くなり寒さが増して、植物や動物の動きも鈍くなるので、古代の人たちにとっては一番辛い時期だったに違いありません。食料を手に入れにくい間は、きっと暖かい時期に採れたものを備蓄して冬を越していたでしょうから、夜が一番長い冬至は「このまま太陽が顔を出さなかったらどうしよう」だなんて不安に駆られて神様にお祈りしていたのかもしれませんね。

冬至祭は冬を越すための準備だった?

冬至が過ぎ日照時間が長くなっても、大寒に向かって寒さは増していきますから、冬至の日にご馳走を食べるというのは残りの冬を越すための栄養補給だったと考えられます。

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日本では昔から冬至の日にかぼちゃを食べたり柚子湯に入る風習がありますが、昔の人は、野菜が不足しがちな冬に保存のきく栄養豊富なかぼちゃを食べ、柚子の木の寿命が長く害虫に強い特徴にあやかって柚子を浮かべたお風呂に入って体を温めつつ無病息災を祈願し、厳しい冬を乗り切ってきたんですね。
冬は植物が枯れ、動物は冬眠してしまうため、食料が手に入りにくくなります。更に日照時間が短いため生命の源である太陽の恵みを享受することが出来にくく、人々は生活の不安を感じていました。特に北半球では、冬至に対する不安は大きかったようです。そこで無病息災を祈るために、野菜の少ない季節に栄養を補給するためのかぼちゃを食べたり、その香りに邪を祓う霊力があると信じられている柚子のお風呂に入るなどして夜を越していたようです。
出典:日本文化いろは辞典 - iroha-japan.net

北欧の冬至祭(ユール)にも似たような風習があります。
ユールボードというクリスマスディナーがありますが、並べられたご馳走はあの世から帰ってくる祖霊や、土地に眠る霊への捧げ物であると同時に栄養を補給するものであったと考えられますし、ユールログという丸太を燃やす風習は無病息災を祈願しつつ暖をとっていたとも考えられます。
古代では樫の木が使われていたそうで、樫の木は冬でも葉を枯らさずにいる特徴から生命の象徴と捉えられ、樫の薪を燃やすことで太陽の輝きを助けるとともに一年間無病息災で暮らせると信じられていました。日本の柚子湯に入る理由となんだか似ています。

冬至の日を境に太陽の光が増していくことに感謝しつつ、強まる寒さを前にご馳走を食べ体を暖かくして備えるという風習そのものが各地の冬至祭の由来なのかもしれませんね。

まとめ


日本の勤労感謝の日とクリスマス、歴史を遡るとどちらも古代の冬至祭で繋がっていたわけなんですが、明治の頃は西洋化が積極的に行われていた時代でもあったので、強引な改暦のおかげで冬至の日の行事が空いてしまったところに、上手い具合に同じく冬至祭が起源であるクリスマスが入りこんだ?と考えるとなんだか面白いですね。
現代の日本ではすっかりクリスマスが定着して盛り上がり、冬至はあまり注目されませんが、日本全国各地の神社では11月23日には新嘗祭を、冬至の日には冬至祭を行っている神社もあります。
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冬至といえば伊勢神宮の宇治橋の大鳥居から見る日の出が有名ですね。内宮本殿へ向かう参道に掛かる宇治橋は冬至の朝日が昇る方向を指していて、冬至の日には鳥居の中央から昇る美しいご来光を拝むことができます。
科学が進歩した現代に生きる私たちも「冬至は地球の地軸が傾いているために起こる現象」とわかっていても神秘的に感じ感動するのですから、古代の人にとってはまさに太陽神である天照大御神が復活した姿として神々しく映ったでしょうね。
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